ゆるふわオーディオ日記(blog)

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雑記:宮崎駿監督作品「君たちはどう生きるか」観て来たよ / 米津玄師 「地球儀」素晴らしい楽曲でした

こんにちは

 

今日は最近観たコンテンツ宮崎(さきは別の字)駿監督作品「君たちはどう生きるか」そして米津玄師「地球儀」のについての感想、妄想的な雑記です。

*注意 ネタバレを含みます。

 

君たちはどう生きるか」観てきました。個人的には受け止めるのに時間はかかりましたが、とても素晴らしい引き際の作品でした。

風立ちぬ」が着飾った表のプライドたっぷりの遺作だとすれば「君たちはどう生きるか」は裏側、とても人間らしい今までの宮崎監督とは思えないほど恥も外聞も捨て去った、矜恃のかけらも感じさせない作品作りでした。まるで病床に伏せて死の淵で全てを悟り振替った遺言の様な作品だった様に感じます。

 

地球儀はその主題歌とも言える楽曲で、映画の内容を考察すればその歌詞、楽曲はなかなかに刺さるものがありました。

 

もちろんアニメーションですので様々な解釈があり、私の感じた感覚が正解と思っているわけでは無いのですが、作中に登場する多くのアニメーション関係者、オマージュ作品、そしてアニメーション(ジブリ)の世界の終焉とかけがえの無い友人への感謝、そしてその旅路を巡る過程は地球儀を廻すように少年の心を彷彿とさせられました。

 

地球儀は作品をテーマに作られた楽曲でピアノの音色と軋む椅子等の音は少なく、ゆっくりと流れる時間を想起させられます。

歌詞は若き日を振り返る80にもなった老人、宮崎駿監督しか浮かびません。軋むのは椅子ではなく体なのかもしれません、人生をアニメーションと共に走り抜け、今でも少年の心をもち、地球儀をまわすように世界を造る、そんな一人の男の歌なのでしょう。

地球儀は「まるでまだまだやり残したことはある。」なのかもしれませんし、「もっともっと描きたい」なのかもしれません。ただただ、夢中で楽しんで生きてきたそんな監督の姿を思い描かずにはいられませんでした。

 

そんな楽曲ではありますが、作中ではその答えというかその後をしっかりと描いてたように感じます。

 

美しいものだけを集めたこわれかけた世界(ジブリ)は崩壊し、そして忘れられ、それぞれの皆も夢というアニメーションの世界を忘れ、現実に帰って行くというのです。

思えば宮崎駿監督は現在流行りの深夜アニメにみる大衆迎合のアニメーションや、安直に売れ持て囃される表現を極端に嫌っていたように感じます。このような嫌儲の悪意を徹底的に嫌い、綺麗な物だけを集めて作られた13の積み木はまさに今までの宮崎駿監督作品を象徴しているかの様に思えました。

さらに、それを自分を投影していたであろう大叔父はいよいよ限界を迎える崩壊寸前の世界(ジブリ)に対して、頑張って小細工しても1日しか持たないと言います。自分の限界を認め、そして自分の後継者と考えていた主人公には「違う道を歩む、悪意と共に生きる(悪意という大衆迎合を認め)、友と共に歩む」という振られっぷりを披露します。まるで息子や庵野監督等の様々な後継者候補に同様のシーンがあったのではないかと考えてしまうシーンでした。

いずれにせよ、理解が及ばぬインコ大王により石の世界・・・ジブリは壊れ、終わります。夢の世界に入ったけれど、忘れられて消えて行くけれどその中の過程で得られたかけがえない友人達は残り、主人公、皆成長しているという構図です。

面白いのは石の中では醜い鳥(インコ)たちは外の世界に行けばカラフルで綺麗な鳥たちに変わる点です。インコは綺麗だけどクソ塗れという皮肉たっぷりの世界です。アニメーション表現でないインコたちはクソまみれだけれど綺麗なんです。ああ、なんてクソまみれの世界だろう、アニメーションの中身は醜いそんなメッセージのようにも思えます。まぁでも、「だがそれが良い。。。」そんな気持ちも感じられますね。

 

いずれにしても、「きみたちはどういきるか」という映画、驚くことに宮崎駿監督作品としていつもエンドロール後にある「おわり」の表示がありません。

つまり、終わらない、現実へ地続きとなった初めての作品なのであろうかと思います。ジブリ、もといアニメーションそのもの、そして宮崎駿監督は終わりだけれど、これをみた観客は何か持ち帰り、現実に生きて欲しいというメッセージを受け取った気がしました。

 

観客たちにこのジブリアニメーションが終わり現実に帰るけど「君たちはどう生きるか」ということでしょうか。タイトル回収ですね。

 

宮崎駿監督自身も映画について「自分でもよくわからない部分があった」と語ったとニュースで言っていましたが、初めて内面まで描写した作品だったのではないでしょうか。

また、弟子に近い庵野秀明監督がエヴァンゲリオンの関連作品で内面の描写を経て、現実へ帰ることを2度にわたり演出させましたが、宮崎駿監督で初めて直接的な内面描写を経て、観客を現実への帰還させる描写を描いたように感じます。

 

まぁ、ここまでいい事書いたんですが、実際のところ、マザコンロリコンを上手くオブラートに隠してきた今までの作品とは異なり、そういう気持ち悪い感情を前面に出してくるというヒロインがお母さんという前代未聞の作品です。セルフオマージュの連続、嘘つきのアオサギ鈴木敏夫プロデューサー)を友達と呼んだり。

本当に今まで照れくさくてできなかった様な事を平気で認めてやってきた異色作品だと感じたんです。

 

ねぇ、だってこんな開き直り、死ぬ間際の遺言みたいじゃないですか。俺にはもう体力も無いからこれ以上のことはできないけれど、自分の生きた証を糧に、間接的な後継者に祝福を、友人に感謝を・・・それを感じさせられました。

 

 

作品を通してその言葉を描いている姿は、まさに地球儀を回して遊んでいるおじいさんの遺言でした。楽曲を聴いた時、その年月の重みと満身創痍の感情は一気に自分にふりかかってきて恥ずかしながら泣いてしまいました。

個人的に映画を見て、そのあと楽曲だけを聴き、映画を思い出して泣いたのは初めての経験です。本当に米津玄師さん天才だと思います。

 

なんかぐたぐだ、思いつくままに徒然と書いてるので変なところもあるかもですが、言いたかったことは一つ「宮崎駿監督、素晴らしい作品ありがとうございました。お疲れ様でした」。

 

尚、しょーもないオチですが、この映画を観たのは家族全員で、一緒に観た嫁と子供は結構呆気にとられて「なんかクソ微妙」という感想になっていました(笑)。